インタビューInterview

close-up KOBE -Long interview-

2018.03.14 | 取材日:2018年02月07日 (伊藤鐘史)・2018年02月02日 (佐藤貴志)

退部選手インタビュー Part.4

取材日:2018年02月07日

選手としては完全燃焼。今後は大学日本一を目指します

伊藤鐘史
SHOJI ITO

PROFILE

■1980年12月2日生まれ、兵庫県出身

■兵庫工業高校→京都産業大学→リコーブラックラムズ→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(2009年入部/9年間在籍)

■ポジション/LO

■2017-2018シーズンまでの公式戦出場回数/104

■代表キャップ数/36

−いつ引退を決めたのでしょうか?
「昨年4月、新しいシーズンに向けてチーム練習がスタート時には、最後の1年にしようと決めていました。1番の理由は、右膝です。今シーズンもたくさん試合に出ていたので、まだまだできるんじゃないかとよく言われるんですが、相当ガタがきていて。膝は、神戸に移籍する前に、軟骨移植手術を受けているんですが、この手術をして復帰できる選手というのはあまりいないんですよ。それから9年間プレーできたので、完全燃焼ですね。すっきりしています」
−現役ラストシーズンに臨むにあたり取り組まれたことなどがあれば教えてください。
「これまでだったら膝のコンディションを見ながら、ストレングスコーチと相談してトレーニングしていたんですが、今シーズンは、最後の1年ですし、自分史上最高の状態を作ろうと思い、トレーニングに取り組みました。また、最後の1年なので、その日行った練習メニューを記そうと日誌をつけることにしたんです。何気なく始めたことですが、記録することでコーチのやりたいことが理解できたり、チームの方向性が見えたりして、いいなと思いました。ただトップリーグが開幕すると、忙しくなって、曖昧になってきたんですけどね」
−チームメイトは引退することを知っていたのでしょうか?
「誰にも教えていませんでした。引退発表をするような選手ではないですし、これまで通り日本一という目標に向かってチャレンジしたかったので。シーズン終了後、クラブハウスで選手、スタッフ全員が集まりミーティングした時に、伝えました」
−伊藤選手を胴上げしたかった選手も多かったと思います。
「性格ですかね。華々しく終えるよりも、静かに去っていきたかった。もっと早くに伝えてほしかったという選手もいたかもしれないですが、これが僕の去り方なんですよ」
−クラブハウスで引退の挨拶をされた時に涙を見せていましたね。
「これまでの感謝の気持ちを明るく伝えようと思ったんですが、みんなの顔を見た瞬間、涙が溢れてきて。9年間、この場所で、たくさんの仲間と出会って、好きなラグビーをしてきたんだなと思うと、胸に迫るものがありました。ラグビーに関わることで泣いたのは、ワールドカップで南アフリカに勝って以来ですね。それくらいチームに対して、思い入れがありました」
−コベルコスティーラーズでプレーした9年間は、どんな時間でしたか?
「神戸出身で震災を経験している僕が、最後に地元に戻ってプレーできた。この9年間は、特別で、幸せな時間でしたね」
−コベルコスティーラーズに移籍したことは、ラグビー人生においてターニングポイントになったのでしょうか?
「大きな転機になりました。自分をさらに成長させたいと思い移籍して、レベルの高い先輩後輩たちと切磋琢磨し、能力が上がった。実際、神戸に来てから日本代表に選ばれるようになって、ワールドカップにも出場できましたから」
−9年間でどのような収穫がありましたか?
「チームに入って感じたのが、常に優勝がターゲットで、1つの負けも許されない文化があるということでした。これはV7時代からずっと続いている文化だと思います。そういう文化があるから、グラウンドで質の高い練習ができる。組織文化の大切さを学びました。あと、いろいろな選手と出会えたことも財産ですね」
−コベルコスティーラーズで出場した104試合の中で印象に残る試合を教えてください。
「すべての試合なのですが、あえて選ぶなら、2試合あります。1つ目が、移籍2年目の開幕戦vsクボタスピアーズ戦です。リリースレター(※選手移籍承諾書)の関係で1年間出場することができなくて、ようやく試合に出場できることになった。初めて赤いジャージを着て試合に出て、やっとチームの一員になれたという実感と、移籍する前年、前所属のリコーは下部リーグに所属していたので、3年ぶりのトップリーグの試合でした。久しぶりにトップリーグに戻ってきたんだという気持ちと2つの思いがありました。リザーブで途中からグラウンドに立って、1発ええタックルをしたのですが、あのタックルに僕の思いが込められていたと思います。2つ目は、僕の目標はチームで日本一になることだったので、それにもっとも近づいたサントリーとの日本選手権決勝(2012-2013シーズン)です。大差で敗れましたが、ラグビー人生において初めて決勝の舞台に立てたことは良い思い出です」
−ちなみに、日本代表ではどの試合が印象に残っていますか?
「代表でもすべての試合を覚えています。その中でもっとも印象深いのが、2013年6月に行われたウェールズ代表との一戦とワールドカップでの南アフリカ代表戦です。ウェールズ代表戦は世界のトップ10に入るチームに勝利し、厳しいトレーニングは間違っていなかったんだと思えた。あの試合から日本代表は『やれる』というマインドになり、一気にワールドカップまで突き進んでいけました。南ア戦は、僕は出ていませんが、日本代表として4年間積み上げてきたものが出せた試合でしたから。純粋に嬉しかったですね」
−37歳まで現役を続けられた訳ですが、グラウンドに向うモチベーションは何だったのでしょうか?
「トップリーグでプレーするようになってから、個人として2つの目標がありました。1つは日本代表になってワールドカップ出場。2つ目がチームで日本一です。その2つを達成できるように頑張ってきました。そして、その内の1つは達成できましたが、チームでの日本一は叶えることができませんでした。ただ、現役選手として日本一になれなかったのは、セカンドキャリアでのモチベーションの1つになるために達成できなかったのかな、とポジティブに捉えています」
−今後はどうされるのでしょうか?
「今後は、母校の京都産業大学でコーチをすることになりました。ワールドカップ後に引退も考えるようになってきた中で、選手としてこれまで積み上げてきた経験を還元していきたいと思うようになり、コーチング研修を受けたり、大学院に通ってマネジメントを学んだりして、指導者となる準備はしていたんです。京産大は、大学日本一になったことがないので、コーチという立場ですが、これまで通り日本一を目指していきます!」
−ラグビーを通じて得たことを教えてください。
「ラグビーは、人間性に影響を与えるスポーツだと思うんです。ルールに則った上で激しいプレーが繰り出されて、でも試合が終わったら、ノーサイドの精神で敵味方関係なく交流できる。そういうラグビーの文化は、自分の性格に影響を与えたと思います。それに、ラグビーをやっているヤツに悪い人間はいないんですよ。みんな、気持ちのいい性格をしている。そういうヤツらと出会えたのも良かったですね」
−チームメイトにメッセージをお願いします。
「ありがとう。チームメイトにはその言葉とあと1つ。現役プレーヤーとして引退を考えていなかった時は、みんなと一緒に優勝という目標に向かって、ラグビーができるという日常が当たり前だと思っていたんです。でも、いつまでも続く訳ではない。特別な場所にいると思い、日々のトレーニングから大事に取り組んで、引退する時には良いラグビー人生だったと心から言えるようにしてほしいですね」
−ファンの皆様方へメッセージを。
「チームに初めて合流した日が、コベルコラグビーフェスティバルの開催日だったんです。ファンの数の多さに驚いて、さすが名門チームだな、と感じたことを思い出します。また、その当時、丸坊主にしていたので、OBの伊藤剛臣さんと間違えられて、サインを頼まれたのも良い思い出です。コベルコスティーラーズには多くのファンがいます。また試合会場がどこであっても、神戸コールをしてくださる。その声援は力になっていました。ファンの皆様方にも感謝の気持ちでいっぱいです。これからもコベルコスティーラーズを応援よろしくお願いします」

取材日:2018年02月02日

いろいろなチャレンジができた8年間でした

佐藤貴志
TAKASHI SATO

PROFILE

■1981年6月10日生まれ、大阪府出身

■寝屋川ラグビースクール→枚方市立蹉跎中学→東海大仰星高校→同志社大学→ヤマハ発動機ジュビロ→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(2010年入部/8年間在籍)

■ポジション/SH

■2017-2018シーズンまでの公式戦出場回数/93

■代表キャップ数/4

−コベルコスティーラーズに在籍した8年間を振り返っていただけますか?
「前所属チームであるヤマハで日本代表を経験させていただいて、同期からも刺激を受け、それをエネルギーにコベルコスティーラーズで新たなチャレンジをしようと思ってやって来ました。ベテランとしてチームに対して何ができるかを考え、チャンレンジをし、結果的に優勝に繋がらなかったことは残念ですが、プレーイングコーチをさせていただいたり、タグラグビー教室の立ち上げに関わらせていただいたりと、いろいろな取り組みにチャレンジさせていただいた8年間だったと思います」
−佐藤選手と今村(順一)スタッフが作り上げた、神戸市教育委員会と連携して行っているタグラグビー教室はチームの財産だと思います。
「平尾(誠二)さんに提案し、『やってみろ』と快く言っていただいて、立ち上げから関わることができたことは、僕にとっても財産です。今後は、今の形が絶対ではないですので、その時その時にあったものを選手で作り上げていってもらいたいです」
−コベルコスティーラーズでは公式戦93試合に出場されました。その中で、もっとも印象に残る試合は?
「たくさんの試合に出させてもらいましたが、記憶に残る試合というのは数試合しかないんです。その1つが、入部して初めて行われた部内マッチです。ここでアピールしないと試合に出られないと、気持ちが入っていました。もう1試合は、サントリーに勝ったナイターゲーム(ジャパンラグビートップリーグ2014-2015 1stステージ第5節)です。長い間勝つことができなかったサントリーに勝利し、僕たちも嬉しかったですし、ファンの方も喜んでくれて。良い思い出として残っています。それと、僕は出ていないのですが、今シーズン、最後の試合となった秩父宮での東芝戦も印象深いですね。あの試合は、初めて自分が出ていないにもかかわらず、感動した一戦です。試合前の雰囲気も良くて、試合内容も素晴らしかった。神戸のポテンシャルを見せつけた試合だったと思います」
−その東芝戦終了後、胴上げをされていましたね。
「予想していなかったので、嬉しかったですね。でも、やはり引退試合でジャージを着たかったという思いはありますが、今シーズンは怪我が多くて、出番がなくて...。完全燃焼での引退ではないですが、たくさんの試合に出させていただきましたし、指導経験もない中でプレーイングコーチをさせていただいて、チーフスに研修に行かせていただくなど勉強もさせていただき、恵まれたラグビー人生だったと思いますね」
−コベルコスティーラーズに移籍して良かったですか?
「もちろんです。もしずっとヤマハに所属していたら、こんなに長くプレーしていなかったと思いますし、それに平尾(誠二)さんと一緒に過ごした6年間は僕にとって特別なものでしたから。平尾さんとは、ラグビーの話をしたり、僕の将来の話をしたり。僕は、今後、指導者として母校である同志社大学のコーチをすることになりましたが、この道も平尾さんが作ってくださったと思っています。そういう意味でも神戸に来て良かったと心から思います」
−今後はコーチをされるとのことですが、どういう指導者を目指しますか?また影響を受けた指導者がいれば教えてください。
「僕は高校、大学と試合に出られない時期がありました。社会人になってからも控えの時期があって。そういう試合に出られない選手に対しての声の掛け方であったり、選手との人間関係の構築であったりは、アドバンテージがあると思います。あとは、これまで指導していただいた監督、コーチ全員を良い見本にしていきたいですね。それから、影響を受けた指導者ですが、刺激を受けたのは、ギャリー(・ゴールド)です。彼はサントリーに勝つために春からチームを作っていったと思うんです。サントリーに対して、どうディフェンスするか。それが機能すれば、ほかのチームにも機能する。そして、実際にサントリーに勝ちました。また、ギャリーは、試合前のミーティングでのプレゼンテーションが非常にうまかったんです。自然とスイッチが入るような感じで。それを体感できたのは良かった。今後、どのような指導者になっていくのか、まだ僕自身、模索中ですが、これからも目の前のことを一生懸命やっていきたいと思います」
−また新たなチャレンジですね。
「そうですね。大学日本一目指して頑張ります!」
−ではチームメイトへメッセージを。
「チームは衰退しているのではなく、確実に成長しています。実際、常に4位以内を狙える位置にいますし、良い選手もそろっていて、ハイレベルな競争ができているので、実力は絶対にある。また、チーム理念等、チームとして取り組んでいることは間違っていない。選手の人間性も磨かれてきていますので、いつか努力が実を結ぶ日が来る。優勝できると信じてハードワークしてください」
−では最後にファンの皆様方へメッセージをお願いします。
「8年間、応援していただいて、ファンの皆様方には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!チームは年々成長していますので、これからもあたたかく見守っていてください」

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