2月28日

2002シーズン引退選手コメント
冨岡 洋

(1991シーズン入社・フランカー、ロック)
冨岡 洋


あなたにとって、「神戸製鋼ラグビー部」とは、どんなチームでしたか?

 自分を成長させてもらえたチームでした。自分のレベルが上がらないと試合には出してもらえないということを、最初から実感させられました。
 ケガで試合に出られないという経験は、僕を我慢強くさせたんじゃないでしょうか。他のチームだったらとっくに辞めているでしょうね。逆に若い頃にケガをして不本意なシーズンを送ったということが、この年までラグビーを続けられたモチベーションにもつながっているのだと思います。
 去年からは、「精一杯試合に出て、悔いの残らないプレーをしてチームに貢献しよう」と思ってプレーしていました。

公式戦出場試合のうち、一番印象に残る試合は何ですか?

 V8の年、2000年2月27日 第37回日本選手権決勝のトヨタ戦(国立競技場 ○神戸製鋼49-20トヨタ自動車)です。
入部してからずっと、ケガのためにシーズン最後の試合に出られなかった。前の年に国立に出られたが、負けてしまった。ファイナルに出て勝てたという意味で印象深い試合です。

出場試合を振り返ってのご感想は?

冨岡 洋  在籍期間の割には、毎年ケガをしていたので、思ったほど公式戦に出ていないんですよね。一方、現役の後半は結構試合にでていますね。
 昔入った頃は、ベテランのみんなが活躍している姿を見ると、自分もラグビーがしたくて入部しているのにケガで体が動かない状況でしょう。だからたまに試合に出してもらった時に、より以上にアピールしなければならないので、無茶なプレーばかりしていたと思うんです。今考えたら1〜2年棒に振ったとしても完全に治せば良かったのですが、焦るんでしょうね、完全でないのに「治った」と出てきて、またケガをするという悪循環でした。
 入部当時のFWの層は、結構厚かったですよ。3列だけでも大八木さん、廣瀬さん、杉本さん、武藤さん、大西さん、外国人もいましたから。大学時代は8番だったので、本当は8番をしたかったのですが、当時大西さんがキャプテンでNo.8にいましたからね(笑)。大西さんの後には伊藤剛臣が8番をやりましたから、神戸製鋼に入ってから7番・フランカーというイメージが強くなってしまいました。

応援してくださったファンの皆さんへ、一言コメントをお願いします。

 12年間もラグビーをダラダラやらせてもらえて(笑)、本当に長いことありがとうございました。
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