インタビューInterview

close-up KOBE -Long interview-

2018.06.06 | 取材日:2018年05月24日 (有田隆平)・2018年05月24日 (日和佐篤)

新加入選手インタビュー Part.2

新加入選手インタビュー第二弾は、コカ・コーラレッドスパークスから移籍のHO有田隆平選手とサントリーサンゴリアスから移籍のSH日和佐篤選手をご紹介。

新天地での活躍を誓うキャップホルダーの両選手のインタビューをお届けします。

取材日:2018年05月24日

優勝を狙えるチームで再チャンレンジ!
怪我を治して日本一に貢献するプレーを。

有田隆平
Ryuhei Arita

PROFILE

■1989年3月21日生まれ(29歳)、福岡県筑紫郡出身

■つくしヤングラガーズ→東福岡高校→早稲田大学→コカ・コーラレッドスパークス

■ポジション/HO

■身長・体重/176cm・104kg

■代表キャップ/9(日本)

フッカー最年長として引っ張っていく
−チームに合流したのはいつですか?
「4月9日のファーストミーティングは参加したのですが、コカ・コーラの退職が4月末だったので、向こうで手続きをしてから神戸に来ました」
−神戸での生活には慣れましたか?
大学の4年間以外は福岡で生活をしていたので、関西で住むこと自体初めてでした。神戸に来るまでは知らない土地での生活に不安はあったのですが、チームのみんなや会社の方が優しくて。それにチームには同期が多いですし、日本代表で一緒だったらっしーさん(平島久照)、ヤンブーさん(山下裕史)、日和佐(篤)さんもいます。意外とすぐに慣れました」
−住み慣れた福岡から神戸へ。7年間所属したコカ・コーラからの移籍は一大決心だったと思います。
「確かに悩みました。だけど、僕にとって一番大事なのは、強いところでプレーすることだったので、悩む時間は短かったです。あと、大学の同期の山中(亮平)に相談したら、コベルコスティーラーズは環境もいいし、チームの雰囲気もいい。それに神戸という街自体も住みやすいと言われて。山中の後押しもあって、すんなりと決めることができました」
−移籍を決めた理由は強いところでやってみたいという思いから?
「高校、大学と優勝を目指せるチームに所属していたこともあり、もう一度そういったチームでチャレンジしたいと思いました」
−「チャンレンジしたい」という思いの中には、日本代表やサンウルブズへの復帰も含まれているのでしょうか?
「チャンスがあればとは思っています。しかし、今は怪我をしているので、『やってやる!』と、強い気持ちはあるのですが、リハビリ中なので...。早くみんなと一緒に練習ができるようにして、チームにフィットしていきたいです」
−ここ数年、出場機会が減っていましたが、怪我が理由だったのでしょうか?
「そうなんです。腰をはじめ、怪我を立て続けにしてしまって。試合にまったく出ていないわけではないのですが、シーズン通して動けていたかと言われればそうじゃない。シーズン通して活躍できるような体を作りたいと思います」
−まずは復帰を目指すと。試合に出たら、どういうところをファンの方々に見てもらいたいですか?
「フィールドプレーですね。そこは高校時代からの持ち味です。特にディフェンスは強みだと思っています。スクラム、ラインアウトはまだ課題が多いので、安定感を身に付けていきたいですね」
−コベルコスティーラーズのフッカー陣の中では最年長となりますね
「チームでも年齢が高い方で、フッカーでは最年長。自分ではそんなに上だとは思っていなかったのですが。木津(武士/現・日野レッドドルフィンズ)や金井(健雄)さん(現・サントリーサンゴリアス)がやってきたことに劣らないよう、若い選手を引っ張っていったり、自分の経験を教えたりしていきたいです」

フィールドプレーに自信あり!
−ところで、有田選手は、有田4兄弟の末っ子として有名ですよね。ラグビーをはじめたのはお兄さんの影響ですか?
「はい、無理やりやらされました(笑)。友達が野球をやっていたので、僕も野球がしたかったのですが、小1でラグビースクールに入れられて。小学生の頃はイヤイヤでしたね」
−ラグビーを好きになるきっかけがあったのでしょうか?
「低学年の頃はただ練習しているだけだったのですが、高学年になると大会があって、1番、2番と順位が決まります。勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。そこでもっと強くなりたいと思ったのが、ラグビーにハマるきっかけです」
−ということは負けず嫌い?
「そんなことはないですね。争いごとはあまり好きじゃないです(笑)。周りが頑張っているので、僕も頑張ろうという感じですね」
−確かに顔から優しさがにじみ出ていますもんね。ポジションは子供の頃からフォワードだったのですか?
「そうです。中学からプロップ、3番でした。それから高校1、2年と、プロップだけでなくフッカーもしていて、高校3年でナンバーエイトになりました。もともとボールを持って走るのが好きだったので、エイトはすごく楽しかったです」
−本格的にフッカーをはじめたのは?
「大学1年からです。自分から希望しました。トップリーグでプレーしたかったですし、将来的に日本代表入りも狙っていましたので。自分のサイズを考えた時に、フッカーにコンバートした方がいいかなと。もしフッカーができなかったとしても、バックローにはすぐに戻れるという自信もあったので。ただ、フッカーは、本当に難しかったです。みんなに怒られながら、スキルを習得していきました」
−特に難しかったことはどんなことなのでしょうか?
「スクラム、ラインアウト。なんでこんなに難しいことをやりはじめたんだろうと後悔しましたね(苦笑)。スローイングもうまくいかなくて、高校の先輩の豊田さん(将万/コカ・コーラレッドスパークス)にお願いして、練習に付き合ってもらって投げ込みました。あとスクラムもフロントローに教えてもらうのが一番なので、とにかく組みまくりました。ただ、先ほども言ったようにスクラムとラインアウトについてはまだまだ勉強中です」
−とはいえ、大学1年から試合に出ていたんですよね。
「一番下のDチームからスタートしたのですが、シーズンがはじまる前にはなんとかAチームに入ることができて、リザーブで試合に出せていただいて。2年からは先発で出場できるようになりました」
−大学4年の時は確かナンバーエイトで出場されていたように思うのですが。そして、トライを量産されていましたよね。
「当時、監督をされていた辻(高志)さんからエイトで使うと言われたんです。フィールドプレーに自信はあったので、問題はなかったですね。トライはおいしいところをいただいたという感じです(笑)!」

今季の目標は仲間の信頼を勝ち取って試合出場
−ちなみに、高校でも、大学でもキャプテンをされていましたよね。
「人を引っ張っていく性格ではないんですよ。だから苦労しました。特に初めてキャプテンをした高校3年の時は、チームメイトのキャラが濃いこともあって、まとめるのが大変で、白髪がどっと増えました。大学もそう。ほんと大変でしたね」
−どうやってチームをまとめたり、牽引したりしていたのですか?
「喋ると何を言っているかわかんなくなるんですよ(苦笑)。なので、プレーで引っ張る感じだったと思います」
−そして、大学卒業後、出身地である福岡を拠点とするコカ・コーラへ。コカ・コーラに入部したのは、地元に戻りたいという気持ちからですか?
「そういう気持ちもありましたが、一番の理由は、コカ・コーラはトップリーグに昇格してまだそれほど年月が経っていないチームながら、年々順位をあげてきて強くなる可能性を秘めている。これまでとまったく違う環境でチャレンジしたいという思いがあったんです。でも僕が加入した年に、チームはトップチャレンジに降格してしまって。これまではずっと優勝を狙えるチームにいたので、ショックでした。コカ・コーラでの7年間は、負け続ける中で、どうしたらチームが良くなるのかを考えさせられましたし、個人的には3ヶ月間ニュージーランドへラグビー留学させていただいたりして、さまざまな経験をさせていただきました。日本代表やサンウルブズに召集されたのも、僕1人の力ではないですし、チームに成長させていただいたと思います」
−そのようなチームを退部してまで、神戸でもう一度チャンレンジしたいと。有田選手の活躍を期待していますね。では最後にファンの皆様方にメッセージをお願いします。
「「早く怪我を治して、仲間からの信頼を勝ち取り、試合に出場したいと思います。そして、チームが掲げる日本一に貢献します。皆様の期待に応えられるよう、一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします!」

取材日:2018年5月24日

2019年ワールドカップ出場を目指して新天地へ。
自分の色を出して、チームを優勝に導く!

日和佐 篤
Atsushi Hiwasa

PROFILE

■1987年5月22日生まれ(31歳)、兵庫県神戸市出身

■兵庫県ラグビースクール→報徳学園高校→法政大学→サントリーサンゴリアス

■ポジション/SH

■身長・体重/166cm・72kg

■代表キャップ/51(日本)

残り少ないラグビー人生でベストの選択
−12年ぶりに地元・神戸に帰ってきました。先日行われた「神戸まつり」でも沿道から「おかえり!」と声がかかっていましたよ
「高校生以来の関西なのですが、実は地元に帰ってきたという感じがまったくしないんです。チームにすんなり溶け込めたのが大きいのかな。コベルコスティーラーズに知っているメンバーがたくさんいるからだと思いますが、違和感を感じることなくすっと馴染んじゃいましたね」
−平島久照選手、山下裕史選手、山中亮平選手をはじめ、日本代表で一緒だった選手が多いですもんね。Facebookの誕生日の選手からのメッセージコーナー(日和佐選手の誕生日は5月22日)では、「早く赤いジャージが似合うように頑張ります」と、コメントをされていましたが、赤色には違和感がありますか?
「赤色はまだ似合っていない気がして...。どうですかね?早く黄色のイメージを払拭したいなって。これから似合うようにしていきたいですね」
−その黄色のチームのことなのですが、8年間所属したサントリーを出て、コベルコスティーラーズへ加入を決めた理由を教えていただけますか。
「流(大)という素晴らしいスクラムハーフが2015年にサントリーに入部し、翌年、キャプテンになりました。彼の1年目、2年目と、リザーブで試合に出させてもらいましたが、昨シーズンはなかなか出番がなくて。2019年のワールドカップ出場を目指す上で、どこかでチャンレンジしないと日本代表に選ばれないと思ったんです。そのチャレンジのきっかけを作ってくれたのが、コベルコスティーラーズでした。コベルコスティーラーズは、今シーズン、チームが変わろうとしているし、変わるチャンスがある。そして、優勝も狙える。残り少ないラグビー人生の中でベストの選択をしたと思っています」
−2019年のワールドカップ出場に向けて決意を感じます
「トップリーグで試合に出ないと日本代表には選ばれませんからね。すべてはワールドカップ出場のためです。コベルコスティーラーズには優れたスクラムハーフがたくさんいますし、良い競争ができればいいですね」
−サントリーでジョージ・グレーガン選手やフーリー・デュプレア選手といった世界的スクラムハーフを間近で見てきた日和佐選手の目に、オールブラックスやクルセイダーズで活躍したアンドリュー・エリス選手はどう映っていますか?
「いい人ですよね!それに練習も真面目に取り組む。ただ、とにかく負けず嫌い!あんなに負けず嫌いの人がいるのかと(笑)。僕も負けずにやり合おうと思います!」

試合に出たい、勝ちたい!それがモチベーション
−両選手のやり合い、どちらが勝つのか、目が離せませんね。コベルコスティーラーズで達成したいこととは?
「優勝。それしかありません。優勝に貢献します!」
−頼もしいですね!日和佐選手は、サントリーに所属した8年間で何度も優勝を経験しています。しかし、9位、5位に沈んだ年もありました。勝った時のチームと負けた時のチームの差は何なのでしょうか?
「優勝した時はチームがひとつの方向を向いていて、お互いに助け合いながらどうすれば強くなるのかを話し合って、全員でチーム作りをしていましたし、厳しい練習もしていました。負けていた時は、どこかできついことから逃げていたように思います」
−そういうことを分かっているのが日和佐選手の強みでもある。
「そうですね。いろいろな経験をしてきていますから。コベルコスティーラーズの良いところと僕が経験したサントリーの良いところをミックスして、チームに浸透させていくことができればいいんじゃないかな。コベルコスティーラーズというチームは、外から見ていて、勢いに乗れば、とても嫌な相手なのですが、80分の中で一瞬の隙があるという印象なんです。なぜそれが起こるのか。チームに入ってからずっと考えているんです。そういう時間をなくすように働きかけていきたいですね」
−もうすでに意見を言ったりしているのでしょうか?
「新加入であるとかは関係ありません。勝つために遠慮することなくやろうと思っていますので、周りにもいろいろと言っていますよ。負けるのが嫌ですし、やらないと勝てないですから。コベルコスティーラーズを勝つチームにするため言うようにしています」
−日和佐選手もエリス選手に同じくらい負けず嫌いな気がします。
「そうですね(笑)。負けず嫌いです。とにかく勝ちたい、試合に出たいという思いでやっています。そういう気持ちがなくなったら引退だと思っていますから」
−ところで、これまでの競技歴を教えていただきたいのですが、ラグビーをはじめたのは何歳からですか?また、そのきっかけは?
「5、6歳だったと思います。小学校に入る前に、父親に兵庫県ラグビースクールへ入部させられました。父はラグビー部でプレーしていたわけではないのですが、高校時代に体育の授業でラグビーをしたことがあり、その時めちゃめちゃ楽しかったらしいんです。それで、僕にラグビーをさせようと思ったみたいで。僕自身もラグビーをやってみて楽しかった。ただ、小学校に上がった時、友達が野球をしていたのを見て、僕も野球がやりたくなって。少年野球のチームに1、2週間くらい通って、試合にも出ました。でも野球では、守備の時に、ボールは飛んでこないし、バッテングもなかなか自分の番が回ってこない。退屈に感じて、すぐに辞めてしまいました。野球に比べると、ラグビーは、アタック、ディフェンスと常にやることがありますし、パスにキック、何でもできる。それが楽しかったですね」
−ポジションはずっとスクラムハーフだったのですか?
「小学生の頃はスタンドオフでした。中学1年からは小さいという理由でスクラムハーフに。中3でまたスタンドオフをして、高校1年からはずっとスクラムハーフです」
−日和佐選手というと、素早い球出しが持ち味だと思うのですが、それはどこで身に付けたのですか?
「大学時代ですね。当時の法政大は、フォワードというよりも、バックスのチームだったので、バックスで勝負することがトライへの近道になる。そのためには早くボールをバックスに提供しないといけない。だからバックスが少しでもゲインを切ったら、フォワードのオーバーなしでボールを捌いていました。勝つ方法がそれしかなかったので、そんな感じでいつもプレーしていたんです。それが僕のプレースタイルの原点ですね」

コベルコスティーラーズの優勝に貢献したい
−大学卒業後は、サントリーサンゴリアスへ。神戸市出身ですし、コベルコスティーラーズは身近な存在だったと思うのですが
「兵庫県ラグビースクールのグラウンドは六甲アイランドにありましたし、確かにコベルコスティーラーズは身近な存在でした。子供の頃は神戸とワールドを応援していましたよ。ただ8年前、進路を決めた時に、日本一になる可能性を感じたのはサントリーだったんです。勝ちたいという気持ちが強かったので、当時はサントリーに入部するという判断をしました」
−事実、トップリーグでも日本選手権でも頂点に立ちました。そして、先ほども話題にしましたジョージ・グレーガン選手やフーリー・デュプレア選手と一緒にプレーした。彼らからどのようなことを学びましたか?
「ジョージからは試合に向かう準備の部分を学びましたね。普通は小さいキャリーバッグで試合会場に入るんですが、ジョージは夏合宿に行くのかというくらい大きなキャリーバッグでやって来るんです。中にはスパイク3足とマウスピース3つなど、不測の事態を考えていろんなものが入っている。あと、試合に向けての1週間の過ごし方も学びました。デュプレアからは主にゲームコントロールです」
−デュプレア選手のゲームコントロールを学んで、日和佐選手のプレーは変わりましたか?
「それまでの僕は野球に例えると、ストレートしか投げられないタイプだったのですが、 デュプレアのプレーを見たり真似をしたりして、変化球も投げられるようになったかなと。でも、自分の持ち味を殺さないようにもしたかった。なので、素早い球出しを軸にしながら、ゲームコントロールをプラスしていったという感じです。昔はほんと好き勝手にプレーしていましたからね。今、振り返ると、めちゃめちゃだったなって(笑)。だけど、好きにやることだけがすべてじゃないと分かってきた。年齢を重ねるごとにプレーは向上していると思いますね」
−サントリーではフランスに渡り、向こうのラグビーを経験されているんですよね。
「2012年春に、ジョージ・スミスが期限付きでスタッド・フランセと契約した際、約1ヶ月半、練習に参加させてもらったんです。フランスではスクラムハーフが王様という感じで、9番が起点になってゲームをコントロールする。そういうラグビーを経験できたことは、非常に良かったですね」
−経験豊富な日和佐選手の活躍を楽しみにしていますね。ファンの方々も期待していると思いますよ。
「コベルコスティーラーズで優勝したいという思いは強いです。それが、今の正直な気持ちです。コベルコスティーラーズの優勝に貢献できるように頑張りますので、ファンの皆様方に応援していただきたいですね!」
−ありがとうございました!

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