インタビューInterview

close-up KOBE -Long interview-

2017.07.03 | 取材日:2017年05月25日 (芦谷勇帆)・2017年06月20日 (重一生)

新人選手インタビュー Part.2

コベルコスティーラーズの一員となった6選手をご紹介。

第二弾は、キヤノンイーグルスから移籍のLO芦谷勇帆選手と帝京大学出身のCTB重一生選手です。

取材日:2017年05月25日

コベルコスティーラーズで自分を変える!

芦谷勇帆
Yuho Ashiya

PROFILE

■1991年7月2日生まれ(26歳)、京都府京都市出身

■京都市立陶化中学→伏見工業高校→早稲田大学→キヤノンイーグルス

■ポジション/LO

■身長・体重/190cm・104kg

鍛えに鍛えられ、すべてにおいて成長できた大学時代
−ラグビーをはじめた年齢ときっかけを教えてください。
「中学からはじめたんですが、小学生の頃から野球をしていて、週末はボーイズリーグの練習があったんです。平日もトレーニングをしたかったので、何かクラブに入ろうと思っていたら、ラグビー部の先生が土日は参加しなくていいので、平日だけ練習においでと言ってくれて。それで、平日はラグビー、週末は野球をしていました。そうしたら、中学1年の冬、たまたま野球の練習がない日に、ラグビーの試合があり、出たら、面白くって。野球にはない、コンタクトに魅力を感じました。野球も好きだったので、悩んだのですが、最終的に中学2年の時に野球を辞めて、ラグビーを頑張ることに決めました」
−すぐにレギュラーになれたのでしょうか?また、ポジションは?
「本格的に試合に出させてもらうようになったのは、3年からですね。ポジションは中学では12人制だったので、スクラムに入らないナンバーエイトのような動きをするローバーをしていました。ロックをするようになったのは高校からです」
−その後、伏見工業高校へ進んだんですね。
「強いところでやりたいという思いがあったんです。1年の時は、3年生に井口(剛志)さんと南橋(直哉)さんがいて、準優勝をしたのですが、その後、2年連続で京都成章に負けてしまって。結局、僕自身は、花園を経験していないんです」
−高校日本代表の経験があるんですよね。
「なんで選ばれたんでしょうね(笑)。当時190cmくらいあったので、身長のお陰ですかね。あと、フィットネスにも自信があったので、高校レベルなら、身長が高くて走ることができたら注目されますから」
−中学の時から大きかったのですか?
「中学に入学した時は165cmくらいだったんですが、そこから急激に伸びて、卒業時には185cmくらいになりました。中学でも大きかったので、うまくないですが、京都選抜に選ばれたりしていたんです」
−選手として転機は?
「大学2年の時、U20代表に選ばれて、グルジアで開催されたジュニアワールドラグビートロフィー2011に出場しました。その時に対戦したサモア代表の選手が、大きくて、強くて。ほんと衝撃的でした。それをきっかけに、体を鍛えて、体重を増やして。もともと80kgくらいだったんですが、4年の時には102kgまでなりました。大学時代は、監督がロック出身ということもあり、どのポジションよりも長時間、地味でキツイ練習をさせられて。そのお陰で、すべてにおいて、高校の時と比べてレベルアップすることができましたね」

キヤノンで経験した人生初の挫折を飛躍に繋げる
−大学卒業後はキヤノンイーグルスへ。公式戦初出場は、2014−2015シーズンのトップリーグ2ndステージ第7節、秩父宮で行われたコベルコスティーラーズとの試合だったんですね。
「そうです。ラスト10分だけでしたが、初めてトップリーグの試合に出場し、嬉しかったことを覚えています。ただ、それからほとんど試合に出られなくて。大学では当たり前のように試合に出ることができていたのですが、キヤノンに入ってから、壁にぶつかってしまって...。通用しない部分が多かった」
−それはどういうところでしょうか?
「キヤノンはセットプレーを重視していますので、スクラムでもロックは重さを求めらます。それに、戦術的に、ロックがボールキャリーになることが多くって。また、ラインアウトでもリーダーとしてできるようになってほしいと言われたのですが、その3つに対して、足りなかった。僕は、自信のある運動量や走力で勝負しようと思っていたんですが、キヤノンにいる3年間は、なかなかうまくいきませんでした」
−初めての挫折だったのでしょうか。
「そうなりますね。これまでレギュラーを獲ってやるとか、思っていなかったのですが、普通にやったら試合に出られていたんです。キヤノンで、初めて普通にやっても試合に出られないんだと分かりました。コーチからは考えてプレーするようにも言われて。もどかしかったですし、初めて悔しいと思いましたね」
−その悔しさを晴らすために、伸ばしたいところは?
「自分の持ち味である運動量や走力はそのままに、キヤノンで課題として出たパワー、スクラムの押し、ラインアウトを上げていって、全体的にレベルアップしたいです」
−自分自身はどういうタイプのロックだと思っていますか?
「イシ(中島ヴァカウタイシレリ)のように突破役になったり、激しくタックルにいったり、ガツガツいくタイプではないですね。1つ1つのプレーは派手ではないけれど、すべてのブレイクダウンに顔を出し、タックルもよく見たら、何度もいっている。そんなタイプですかね」
−コベルコスティーラーズで見本となるロックは?
「(アンドリース・)ベッカー選手ですね。ラインアウトの知識が豊富なので、学ぶことが多いです。あと(伊藤)鐘史さんも。プレーを間近に見て、盗めるものは盗みたいと思っています」
−目指しているロックの選手はいるのでしょうか?
「タイプが似ていて、凄いなと思うのは、大野(均)さん(東芝ブレイブルーパス)です。大野さんのような選手になるためにも、激しさ、パワーを身につけていきたいです」
−ズバリ今シーズンの目標は?
「自分を変えるためにここに来ました。捨てるものは何もない。それくらいの気持ちでやろうと思います。チャンスをもらったコベルコスティーラーズのために、レギュラーを獲得し、活躍して、勝利に貢献したいです」
−では最後にファンの皆様方にメッセージをお願いします
「コベルコスティーラーズには昔から応援されている熱狂的なファンの方が多いですし、そういう方々に認めてもらえるようなプレーをして、感動を与えられるようにしたいと思います。応援よろしくお願いします!」

取材日:2017年6月20日

自分にしかできないセンター像を追求し、優勝に貢献する!

重一生
Issei Shige

PROFILE

■1994年12月5日生まれ(23歳)、大阪府大阪市出身

■吹田ラグビースクール→常翔学園高校→帝京大学

■ポジション/CTB

■身長・体重/171cm・87kg

高校時代、2度のニュージーランド留学で大きく成長できた
−SCIXラグビークラブで練習をされていたと、以前、SCIXでコーチを務めていた今村スタッフから聞きました。
「吹田ラグビースクール中等部の友達がSCIXに通っていので、僕も中学2、3年の頃、その友達と一緒に行っていたんです。楽しくラグビーをやっていた記憶があります」
−ラグビーはいつからはじめたのですか?またそのきっかけは?。
「2歳からなんです。2歳上と4歳上の兄がいるんですが、2人が友達からラグビースクールに入ろうと誘われた時に、僕も一緒に連れて行かれました。といっても、2歳なので、幼稚園部の子供たちと一緒にボールを触っているだけだったみたいなんですけどね」
−ラグビーが面白いと思うようになったのは?
「小学5年の時です。その時にコーチが代わって、遊びでラグビーをするのか、それとも勝ちたいのかと聞かれたんです。それで、僕たちが『勝ちたい』と答えて、それからですね。勝つ楽しさを知って、ラグビーが楽しくなりました」
−それまでは勝ったことがなかった?
「そうです。小学5年までは試合で勝ったことがなくて、ただ楽しくやるというチームだったんです。でも、僕はもともと三男で、すごく負けず嫌い。兄にもよく噛み付いていました(笑)。どんどん勝てるようになって、中学3年の時には、大阪府大会で優勝し、それから全国大会で2位になりました」
−すごいですね!中学の時のポジションはどこだったんですか?
「スクールではスタンドオフでした。大阪選抜に選ばれた時はフルバックをしていました」
−高校は、常翔学園へ。
「小学生の頃、憧れていたのが、元木(由記雄)さんと大畑(大介)さんだったんです。小学5年の時のコーチがよくトップリーグの試合に連れていってくれて、関西で行われるコベルコスティーラーズの試合はほとんど見ていたと思います。それで好きになりました。常翔に進んだのは、スクール選抜の時に、監督の野上先生に会う機会があり、指導を受けたいと思ったことと元木さんの母校ということも理由としてありました」
−高校時代のターニングポイントは?
「高校時代、2度、ニュージーランドに留学させていただいているんです。常翔は2年の時にチームから4人選ばれて留学できるので、1度目は、2年の時。2度目は、3年の時に、2年の時に留学していた高校からもう1シーズン、プレーしないかと誘っていただいて、行くことになりました。プレースタイルがガラリと変わったのは、1度目の時です。1年、2年とフルバックをしていたんですが、アタックも目立たないし、キック処理もうまくない。どちらかというとディフェンスで体を張る、静かなフルバックだったんです。でも、一緒にニュージーランドに行ったチームメイトが、向こうで試合に出た時に、ボールを持ったら、自由に動いて、どこからでもライン参加して、という感じで、すごくのびのびとやっていて。それを見た時に、こうやって自由にプレーしていいんだと思って。その後、そういうプレーをするように意識したら、ハマっていきました」
−2度目のニュージーランド留学はどうでしたか?
「3年の時は、後輩たちとは学校が違ったので、高校には日本人が僕だけだったんです。だから、本当に武者修行という感じで。ラグビーだったら、コミュニケーションが取れるので、昼休みもラグビーをして、毎日、体を当てていました。だから、コンタクトが強くなったと感じたのは、2度目の時です」
−2度目のニュージーランド留学から帰ってきて、花園に出場し、頂点へ。3年の花園出場の時は、スクラムハーフをしていましたよね。
「ニュージーランドから帰ってきて、大阪府予選の2週間前に、野上先生からスクラムハーフをするように言われたんです。びっくりしましたね。先生から言われたのは、FWサイドをぐちゃぐちゃにして、相手を混乱させてほしいと。スクラムハーフというよりも、9人目のフォワードのようなイメージです。だからスクラムハーフらしいし仕事はしていないんです」

大学選手権決勝でグラウンドに立てなかった悔しさを力に変える
−センターをするようになったのはいつからですか?
「大学3年からです。それまではフルバックで、3年の時はセンターとフルバックの両方。4年の時はセンターだけです」
−センターはどうですか?
「4年で完全にセンターに転向してから、センターの醍醐味がわかってきました。フルバックは使われることが多いけれど、センターは周りを使うポジション。自分が行くのか、相手を引きつけて、パスするのか。その駆け引きが面白いですね」
−大学1年の時は試合に出ていないですよね?
「高校3年の時にジュニアジャパン、大学1年の時にU20代表に選ばれたのですが、全然試合に出ることができなくて。レベルの高いところでは思うようなプレーができなかった。大学では試合に出られるのかと、ネガティブな感情のまま、チームに合流し、ラグビーをしたら、怪我をして、また治ったら怪我と悪いサイクルに入ってしまっていました」
−そこから這い上がれたのは?
「2年の時に、CチームやDチームにいる4年生の先輩がみんなを鼓舞している姿を見て、Aチームにいて、出られるチャンスがあるのに、フルバックがやりたいとか、こういうプレーがしたいとか、わがままを言っている場合じゃないなと思ったのがきっかけです。そこから、変なプライドは捨てました。意見もお叱りも受け入れられるようになって変わっていって、そこから怪我の回数も減っていきました」
−大学の4年間で成長したところは?
「人として成長できました。それが、選手としての成長にもつながっていると思います。あと、精神的にも強くなりました」
−ちなみに、大学時代はずっと頂点に立っていますが、一番うれしかった優勝は?
「うれしかったのは3年の時です。4年の時は嬉しさよりも、リザーブに入りながらも、結局、出られなかったことが悔しくて。グラウンドでは笑っていましたが、ロッカーに戻った瞬間、悔し涙が出てきました。1年からAチームでやらせてもらっているのに、監督の期待に応えることができなかったのかなって。泣いたのは出られなかったことに対してではなく、グラウンドに立つまでの選手になれなかった自分自身に対して悔しかったからです。だから、うれしかったのは3年の時ですが、一番、印象に残っているのは4年の時です」
−4年の時に味わった悔しさをバネに、コベルコスティーラーズで活躍して、日本一に!ですね。
「そうですね。悔しさを力に変えていきます。コベルコスティーラーズは、小学生の頃からずっと見ていて、好きなチームです。ここ数シーズン、3位、4位が続いているので、歯がゆく思っていました。まずは1つ上の順位、また1つ上という風に、自分が出場して、優勝に貢献したいと思います」
−センターはライバルが多いですが、どういうところをレベルアップしていこうと思っていますか?
「持ち味はコンタクトなんですが、トニシオ(・バイフ)さんほどインパクトがあるわけではないですし、山中(亮平)さんや南橋(直哉)さんのように器用ではないです。なので、バックスの中でフランカーのような仕事をする、自分にしかできないセンターになれるようにしたいなって。具体的には、ディフェンスをメインにさらに鍛えていこうと思います」
−では最後に、今シーズンの目標とファンの皆様にメッセージをお願いします。
「目標はメンバーに入ることです。そして日本一になります。ファンの皆様には、スタジアムに足をお運びいただき、赤いフラッグを振って、熱いご声援をお送りいただきますよう、よろしくお願いします!」

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