創部から関西Aリーグへの挑戦 (1928-1975)

コベルコスティーラーズ 神戸製鋼グループ
1905年度(明治38~39年) 1905年(明治38年)
 
9月 合名会社鈴木商店の神戸製鋼所として創業
1911年度(明治44~45年) 1911年(明治44年)
 
6月 鈴木商店から独立、資本金140万円の(株)神戸製鋼所として発足
1917年度(大正6~7年) 1917年(大正6年)
 
6月 門司工場(現在の神鋼メタルプロダクツ(株))を新設
1926年度(大正15~昭和元年) 1926年(大正15年)
 
10月 神戸脇浜地区に線材工場が完成
1928年度(昭和3~4年) 1928年(昭和3年)
10月21日 徳田治三郎部長を発起人にラグビー部創部
11月17日 関西学院グラウンド(現王子公園)にて初練習
12月8日 神戸高専グラウンドにて対外初試合

神戸製鋼 3ー23 神戸海上

部長:徳田 治三郎 / 主将:柳生 三郎

 
1929年度(昭和4~5年) 1929年(昭和4年)

部長(ヘッドコーチ):高橋 良一
主将:柳生 三郎

10月4日 近鉄花園ラグビー場完成
 
1931年度(昭和6~7年) 1931年(昭和6年)

第1回神戸実業団ラグビー連盟大会開催

 
1934年度(昭和9~10年) 1934年(昭和9年)

部長:池田 英雄 / 主将:徳田 文雄

 
1935年度(昭和10~11年) 1935年(昭和10年)

第5回神戸実業団ラグビー連盟大会優勝

主将:森田 満茂

 
1936年度(昭和11~12年) 1936年(昭和11年)

第6回神戸実業団ラグビー連盟大会 2年連続で優勝

 
1939年度(昭和14~15年) 1939年(昭和14年)
 
10月 長府工場(現在の長府製造所)を新設
1942年度(昭和17~18) 1942年(昭和17)

戦争激化のため、ラグビーの練習が不可能になる

主将:山脇 陽三

 
1947年度(昭和22~23年) 1947年(昭和22年)

部員たちの復員により、ラグビー部活動再開

主将:竹内 茂夫

 
1948年度(昭和23~24年) 1948年(昭和23年)

監督:大沢 寿邦 / 主将:竹内 茂夫

 
1949年度(昭和24~25年) 1949年(昭和24年)

第1回全国実業団ラグビーフットボール大会開催

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:中島 貫蔵

 
1950年度(昭和25~26年) 1950年(昭和25年)

 第2回全国実業団ラグビーフットボール大会に初出場

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:中島 貫蔵

 
1951年度(昭和26~27年) 1951年(昭和26年)

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:松下 哲三

 
1952年度(昭和27~28年) 1952年(昭和27年)

柴垣がラグビー部で初めて日本代表メンバーに選出される

11月22日 秩父宮ラグビー場完成

部長:山脇陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:松下 哲三

 
1953年度(昭和28~29年) 1953年(昭和28年)

部長:山脇 陽三 / 主将:柴垣 復生

9月 高砂工場(現在の高砂製作所)を新設
1954年度(昭和29~30年) 1954年(昭和29年)

練習グラウンドであった通称三角グラウンドを神鋼病院建設のため閉鎖

部長:山脇 陽三 / 主将:萩原 文彦

6月 米国フアウドラー社と提携し、神鋼フアウドラー(株)を 設立(現在の(株)神鋼環境ソリューション)
1955年度(昭和30~31年) 1955年(昭和30年)

部長:小松 正美 / 主将:三宅 哲夫

 
1956年度(昭和31~32年) 1956年(昭和31年)

部長:小松正美 / 主将:松本 幸司

 
1957年度(昭和32~33年) 1957年(昭和32年)

全国社会人大会の出場枠が8チームから16チームへ拡大、前年度優勝チームのシード出場と、兵庫地区などの予選大会増加

部長:竹峰 五郎 / 主将:喜多島 正治

 
1958年度(昭和33~34年) 1958年(昭和33年)

部長:竹峰 五郎 / 主将:喜多島 正治

 
1959年度(昭和34~35年) 1959年(昭和34年)

関西社会人Aリーグ開設

部長:関本 琢治 / 主将:荒川 要

1月 灘浜工場(現在の神戸製鉄所)を新設
1960年度(昭和35~36年) 1960年(昭和35年)

部長:関本 琢治 / 主将:荒川 要

9月 ニューヨーク事務所を開設(後にKOBE STEEL USA INC.に統合)
1961年度(昭和36~37年) 1961年(昭和36年)

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

3月 藤沢工場(現在の藤沢事業所)を新設
10月 茨木工場を新設
1962年度(昭和37~38年) 1962年(昭和37年)

新設された関西社会人Cリーグに加入

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

 
1963年度(昭和38~39年) 1963年(昭和38年)

丸山グラウンド完成により、一角をラグビー部の
練習用に使用できるようになる

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

 
1964年度(昭和39~40年) 1964年(昭和39年)

4月 兵庫県実業団春季大会に9年ぶり優勝

関西社会人Bリーグに昇格

第1回ラグビー日本選手権開催

部長:滝本 楠政 / 監督:松下 哲三
コーチ:鈴木 正直、岩本 治人、荒川 要、上仲 俊行
主将:貝野 道弘

 
1965年度(昭和40~41年) 1965年(昭和40年)

1月 第17回全国社会人大会に11年ぶりに出場。

この時よりジャージの色が現在の赤に。

部長:滝本 楠政 / コーチ:浅利 明 / 主将:根岸 佳春

4月 尼崎製鉄(株)と合併
1966年度(昭和41~42年) 1966年(昭和41年)

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明、谷沢 藤太郎
主将:小坂 登

 
1967年度(昭和42~43年) 1967年(昭和42年)

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明
主将:小池 雄吉

4月 秦野工場(現在の(株)コベルコマテリアル銅管秦野工場)を新設
1968年度(昭和43~44年) 1968年(昭和43年)

関西社会人Bリーグを1勝5敗とし、C1リーグに降格

神戸製鋼ラグビー部 OB会を結成

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明 / 主将:栗西 康雄

 
1969年度(昭和44~45年) 1969年(昭和44年)

くろがねクラブの組織改正。陸上、排球、野球の3スポーツを「専門団」として支援。ラグビー部は、引き続き同好会組織とすることを決定

関西社会人Bリーグに復帰

ルール改正により、「ラック」「モール」が登場

3月 第1回アジア大会開催

全国社会人大会の出場枠が、兵庫県から近畿2地区へ変更

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:佐合 一三

8月 真岡工場(現在の真岡製造所)を新設
1970年度(昭和45~46年) 1970年(昭和45年)

第1回兵庫県ラグビーカーニバルに出場

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:佐合 一三

3月 加古川製鉄所を新設
7月 西条工場を新設
1971年度(昭和46~47年) 1971年(昭和46年)

女子マネージャー誕生

関西社会人Bリーグで初出場(ユニチカと同率)

入替戦にはユニチカが出場

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:三浦 義武

 
1972年度(昭和47~48年) 1972年(昭和47年)

ルール改正によりトライ4点、ゴール6点に得点方式を変更
(従来はトライ3点、ゴール5点)

部長:浅利 明 / 主将:大前 駿二

 
1973年度(昭和48~49年) 1973年(昭和48年)

関西社会人Bリーグ優勝

1月27日 関西社会人A-B入替戦に挑戦。栗田工業に敗退、昇格ならず

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:照喜名 二郎

 
1974年度(昭和49~50年) 1974年(昭和49年)

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:菅 伯明

 
1975年度(昭和50~51年) 1975年(昭和50年)

灘浜グラウンドにナイター設備が完成

関西社会人Bリーグ連続優勝

1月25日 関西社会人A-B入替戦で京都市役所を破り、関西社会人Aリーグ昇格

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:前田 寿雄

9月 福知山工場を新設