Kobelco Steelers

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歴史

KOBELCOと神戸製鋼コベルコスティーラーズ

「KOBELCO」はKOBE(神戸)+STEEL(鋼)+COMPANY(会社)から作られた造語で、1979年9月に神戸製鋼の統一営業標識として採用されたものですが、2006年4月には、創業100年を機に、神戸製鋼グループの統一ブランドとして正式に制定し、その活用範囲を大幅に拡大することになりました。神戸製鋼グループ各社が「KOBELCO」を価値あるブランドに育てるべく一致協力していくことにより、グループの一体感醸成と社会からの信頼性向上が実現できるものと考えています。一方で、神戸製鋼コベルコスティーラーズは、創部当初、従業員の一体感の醸成・士気を高めることなどを目的として活動し、強化に努めてきましたが、1980年代に入り、全国社会人大会へ出場するようになり躍進を遂げると、「神戸製鋼/KOBELCO」の知名度アップやブランドイメージ向上に貢献するようになりました。V7以降は、社会貢献活動にも力を入れ、地域社会に密着したチームとして、その存在感を高めています。

KOBELCO

1928-1975 創部から関西Aリーグへの挑戦

1905年度(明治38〜39年)

コベルコスティーラーズ

1905年度(明治38〜39年)

1905年(明治38〜39年)

神戸製鋼グループ

1905年(明治38〜39年)

9月

合名会社鈴木商店の神戸製鋼所として創業

1911年度(明治44年)

コベルコスティーラーズ

1911年度(明治44年)

1911年(明治44年)

神戸製鋼グループ

1911年(明治44年)

6月

鈴木商店から独立、資本金140万円の(株)神戸製鋼所として発足

1917年度(大正6~7年)

コベルコスティーラーズ

1917年度(大正6~7年)

1917年(大正6年)

神戸製鋼グループ

1917年(大正6年)

6月

門司工場(現在の神鋼メタルプロダクツ(株))を新設

1926年度(大正15~昭和元年)

コベルコスティーラーズ

1926年度(大正15~昭和元年)

1926年(大正15年)

神戸製鋼グループ

1926年(大正15年)

10月

神戸脇浜地区に線材工場が完成

1928年度(昭和3~4年)

コベルコスティーラーズ

1928年度(昭和3~4年)

10月21日

徳田治三郎部長を発起人にラグビー部創部

11月17日

関西学院グラウンド(現王子公園)にて初練習

12月8日

神戸高専グラウンドにて対外初試合

神戸製鋼 3ー23 神戸海上

部長:徳田 治三郎 / 主将:柳生 三郎

1928年(昭和3年)

神戸製鋼グループ

1928年(昭和3年)

1929年度(昭和4~5年)

コベルコスティーラーズ

1929年度(昭和4~5年)

10月4日

近鉄花園ラグビー場完成

部長(ヘッドコーチ):高橋 良一
主将:柳生 三郎

1929年(昭和4年)

神戸製鋼グループ

1929年(昭和4年)

1931年度(昭和6~7年)

コベルコスティーラーズ

1931年度(昭和6~7年)

第1回神戸実業団ラグビー連盟大会開催

1931年(昭和6年)

神戸製鋼グループ

1931年(昭和6年)

1934年度(昭和9~10年)

コベルコスティーラーズ

1934年度(昭和9~10年)

部長:池田 英雄 / 主将:徳田 文雄

1934年(昭和9年)

神戸製鋼グループ

1934年(昭和9年)

1935年度(昭和10~11年)

コベルコスティーラーズ

1935年度(昭和10~11年)

第5回神戸実業団ラグビー連盟大会優勝

主将:森田 満茂

1935年(昭和10年)

神戸製鋼グループ

1935年(昭和10年)

1936年度(昭和11~12年)

コベルコスティーラーズ

1936年度(昭和11~12年)

第6回神戸実業団ラグビー連盟大会 2年連続で優勝

1936年(昭和11年)

神戸製鋼グループ

1936年(昭和11年)

1939年度(昭和14~15年)

コベルコスティーラーズ

1939年度(昭和14~15年)

1939年(昭和14年)

神戸製鋼グループ

1939年(昭和14年)

10月

長府工場(現在の長府製造所)を新設

1942年度(昭和17~18年)

コベルコスティーラーズ

1942年度(昭和17~18年)

戦争激化のため、ラグビーの練習が不可能になる

主将:山脇 陽三

1942年(昭和17年)

神戸製鋼グループ

1942年(昭和17年)

1947年度(昭和22~23年)

コベルコスティーラーズ

1947年度(昭和22~23年)

部員たちの復員により、ラグビー部活動再開

主将:竹内 茂夫

1947年(昭和22年)

神戸製鋼グループ

1947年(昭和22年)

1948年度(昭和23~24年)

コベルコスティーラーズ

1948年度(昭和23~24年)

監督:大沢 寿邦 / 主将:竹内 茂夫

1948年(昭和23年)

神戸製鋼グループ

1948年(昭和23年)

1949年度(昭和23~24年)

コベルコスティーラーズ

1949年度(昭和23~24年)

第1回全国実業団ラグビーフットボール大会開催

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:中島 貫蔵

1949年(昭和24年)

神戸製鋼グループ

1949年(昭和24年)

1950年度(昭和25~26年)

コベルコスティーラーズ

1950年度(昭和25~26年)

第2回全国実業団ラグビーフットボール大会に初出場

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:中島 貫蔵

1950年(昭和25年)

神戸製鋼グループ

1950年(昭和25年)

1951年度(昭和26~27年)

コベルコスティーラーズ

1951年度(昭和26~27年)

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:松下 哲三

1951年(昭和26年)

神戸製鋼グループ

1951年(昭和26年)

1952年度(昭和27~28年)

コベルコスティーラーズ

1952年度(昭和27~28年)

柴垣がラグビー部で初めて日本代表メンバーに選出される

11月22日

秩父宮ラグビー場完成

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:松下 哲三

1952年(昭和27年)

神戸製鋼グループ

1952年(昭和27年)

1953年度(昭和28~29年)

コベルコスティーラーズ

1953年度(昭和28~29年)

部長:山脇 陽三 / 主将:柴垣 復生

1953年(昭和28年)

神戸製鋼グループ

1953年(昭和28年)

9月

高砂工場(現在の高砂製作所)を新設

1954年度(昭和29~30年)

コベルコスティーラーズ

1954年度(昭和29~30年)

練習グラウンドであった通称三角グラウンドを神鋼病院建設のため閉鎖

部長:山脇 陽三 / 主将:萩原 文彦

1954年(昭和29年)

神戸製鋼グループ

1954年(昭和29年)

6月

米国フアウドラー社と提携し、神鋼フアウドラー(株)を 設立(現在の(株)神鋼環境ソリューション)

1955年度(昭和30~31年)

コベルコスティーラーズ

1955年度(昭和30~31年)

部長:小松 正美 / 主将:三宅 哲夫

1955年(昭和30年)

神戸製鋼グループ

1955年(昭和30年)

1956年度(昭和31~32年)

コベルコスティーラーズ

1956年度(昭和31~32年)

部長:小松正美 / 主将:松本 幸司

1956年(昭和31年)

神戸製鋼グループ

1956年(昭和31年)

1957年度(昭和32~33年)

コベルコスティーラーズ

1957年度(昭和32~33年)

全国社会人大会の出場枠が8チームから16チームへ拡大、前年度優勝チームのシード出場と、兵庫地区などの予選大会増加

部長:竹峰 五郎 / 主将:喜多島 正治

1957年(昭和32年)

神戸製鋼グループ

1957年(昭和32年)

1958年度(昭和33~34年)

コベルコスティーラーズ

1958年度(昭和33~34年)

部長:竹峰 五郎 / 主将:喜多島 正治

1958年(昭和33年)

神戸製鋼グループ

1958年(昭和33年)

1959年度(昭和34~35年)

コベルコスティーラーズ

1959年度(昭和34~35年)

関西社会人Aリーグ開設

部長:関本 琢治 / 主将:荒川 要

1959年(昭和34年)

神戸製鋼グループ

1959年(昭和34年)

1月

灘浜工場(現在の神戸製鉄所)を新設

1960年度(昭和35~36年)

コベルコスティーラーズ

1960年度(昭和35~36年)

部長:関本 琢治 / 主将:荒川 要

1960年(昭和35年)

神戸製鋼グループ

1960年(昭和35年)

9月

ニューヨーク事務所を開設(後にKOBE STEEL USA INC.に統合)

1961年度(昭和36~37年)

コベルコスティーラーズ

1961年度(昭和36~37年)

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

1961年(昭和36年)

神戸製鋼グループ

1961年(昭和36年)

3月

藤沢工場(現在の藤沢事業所)を新設

10月

茨木工場を新設

1962年度(昭和37~38年)

コベルコスティーラーズ

1962年度(昭和37~38年)

新設された関西社会人Cリーグに加入

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

1962年(昭和37年)

神戸製鋼グループ

1962年(昭和37年)

1963年度(昭和38~39年)

コベルコスティーラーズ

1963年度(昭和38~39年)

丸山グラウンド完成により、一角をラグビー部の練習用に使用できるようになる

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

1963年(昭和38年)

神戸製鋼グループ

1963年(昭和38年)

1964年度(昭和39~40年)

コベルコスティーラーズ

1964年度(昭和39~40年)

4月

兵庫県実業団春季大会に9年ぶり優勝

関西社会人Bリーグに昇格

第1回ラグビー日本選手権開催

部長:滝本 楠政 / 監督:松下 哲三
コーチ:鈴木 正直、岩本 治人、荒川 要、上仲 俊行
主将:貝野 道弘

1964年(昭和39年)

神戸製鋼グループ

1964年(昭和39年)

1965年度(昭和40~41年)

コベルコスティーラーズ

1965年度(昭和40~41年)

1月

第17回全国社会人大会に11年ぶりに出場。

この時よりジャージの色が現在の赤に。

部長:滝本 楠政 / コーチ:浅利 明
主将:根岸 佳春

1965年(昭和40年)

神戸製鋼グループ

1965年(昭和40年)

4月

尼崎製鉄(株)と合併

1966年度(昭和41~42年)

コベルコスティーラーズ

1966年度(昭和41~42年)

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明、谷沢 藤太郎
主将:小坂 登

1966年(昭和41年)

神戸製鋼グループ

1966年(昭和41年)

1967年度(昭和42~43年)

コベルコスティーラーズ

1967年度(昭和42~43年)

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明
主将:小池 雄吉

1967年(昭和42年)

神戸製鋼グループ

1967年(昭和42年)

4月

秦野工場(現在の(株)コベルコマテリアル銅管秦野工場)を新設

1968年度(昭和43~44年)

コベルコスティーラーズ

1968年度(昭和43~44年)

関西社会人Bリーグを1勝5敗とし、C1リーグに降格

神戸製鋼ラグビー部 OB会を結成

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明
主将:栗西 康雄

1968年(昭和43年)

神戸製鋼グループ

1968年(昭和43年)

1969年度(昭和44~45年)

コベルコスティーラーズ

1969年度(昭和44~45年)

くろがねクラブの組織改正。陸上、排球、野球の3スポーツを「専門団」として支援。
ラグビー部は、引き続き同好会組織とすることを決定

関西社会人Bリーグに復帰

ルール改正により、「ラック」「モール」が登場

3月

第1回アジア大会開催

全国社会人大会の出場枠が、兵庫県から近畿2地区へ変更

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明
コーチ:栗西 康雄
主将:佐合 一三

1969年(昭和44年)

神戸製鋼グループ

1969年(昭和44年)

8月

真岡工場(現在の真岡製造所)を新設

1970年度(昭和45~46年)

コベルコスティーラーズ

1970年度(昭和45~46年)

第1回兵庫県ラグビーカーニバルに出場

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:佐合 一三

1970年(昭和45年)

神戸製鋼グループ

1970年(昭和45年)

3月

加古川製鉄所を新設

7月

西条工場を新設

1971年度(昭和46~47年)

コベルコスティーラーズ

1971年度(昭和46~47年)

女子マネージャー誕生

関西社会人Bリーグで初出場(ユニチカと同率)

入替戦にはユニチカが出場

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:三浦 義武

1971年(昭和46年)

神戸製鋼グループ

1971年(昭和46年)

1972年度(昭和47~48年)

コベルコスティーラーズ

1972年度(昭和47~48年)

ルール改正によりトライ4点、ゴール6点に得点方式を変更
(従来はトライ3点、ゴール5点)

部長:浅利 明 / 主将:大前 駿二

1972年(昭和47年)

神戸製鋼グループ

1972年(昭和47年)

1973年度(昭和48~49年)

コベルコスティーラーズ

1973年度(昭和48~49年)

関西社会人Bリーグ優勝

1月27日

関西社会人A-B入替戦に挑戦。栗田工業に敗退、昇格ならず

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:照喜名 二郎

1973年(昭和48年)

神戸製鋼グループ

1973年(昭和48年)

1974年度(昭和49~50年)

コベルコスティーラーズ

1974年度(昭和49~50年)

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:菅 伯明

1974年(昭和49年)

神戸製鋼グループ

1974年(昭和49年)

1975年度(昭和50~51年)

コベルコスティーラーズ

1975年度(昭和50~51年)

灘浜グラウンドにナイター設備が完成

関西社会人Bリーグ連続優勝

1月25日

関西社会人A-B入替戦で京都市役所を破り、関西社会人Aリーグ昇格

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:前田 寿雄

1975年(昭和50年)

神戸製鋼グループ

1975年(昭和50年)

9月

福知山工場を新設

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